INTERVIEW 004
GRADUATE
井澤謙介
チームラボ カタリスト
周りのモチベーションに引っぱられ全力で過ごした"青春のとき"
アート?サイエンス?テクノロジー?クリエイティビティの境界を超えて活動するウルトラテクノロジスト集団「チームラボ」。様々なスペシャリストから構成されるチームの“触媒”?カタリストとして活躍する井澤謙介さんが、初めてIAMASの新校舎を訪れました。井澤さんにとってIAMASで過ごした2年間はどのような時間だったのでしょうか。そして卒業して6年経った今、IAMASはどのような場所として映っているのでしょうか。在学時に副査を務めた鈴木宣也教授が探りました。
「人が体験できる作品をつくりたい」
鈴木:井澤君は武蔵野美術大学のデザイン情報学科の出身ですよね。大学ではどんなことを学んでいたのですか。
井澤:特にコレというものはなくて。WEBデザインも、グラフィックデザインも学びましたし、映像や写真集も作りました。やりたいことを見つけるために、様々なものづくりに取り組んでいた気がします。
鈴木:卒業制作はどのような作品を制作したのですか。
井澤:大学3年のときに、小林茂さんが主催していたIAMAS PDPの『ゲイナーカイダン』をICCで見ました。『人が体験できるものっていいな』と思い、実験的に3つの作品を作りました。
ひとつは、明るさをセンサーで検知して水槽にチューブで空気を送り込み、揺れる水面に赤、青、黄色のLEDを照射して、水面がキレイに映るというような作品でした。
ステッピングモーターを使った作品も作ったのですが、その頃はまだ抵抗についての知識がなかったので、卒展中に作品が煙を噴いて怒られたことを今でも良く覚えています。
鈴木:IAMASにはなぜ行こうと考えたのですか。
井澤:体験型の作品を作り始めたのが大学3年生だったので、それから卒業制作まで1年なくて、やり足らなすぎると感じたのが理由です。
学科の2つ上の先輩に、菅野(創)さんと松田(亮太)君がいて、あの2人の卒制はすごく有名だったし、自分もあの2つの作品だけはとてもよく覚えていました。その2人がIAMASに進んだと聞いて興味を持ちました。
鈴木:菅野君と松田君は学部の頃から有名だったんだね。
井澤:すごく有名で、学科の学生はみんな知ってました。
学部の担当教授が一緒だったので、菅野さんが『ジャミングギア』を展示していたAXISギャラリーでの『ガングプロジェクト』を教授と一緒に見に行って、『この学校に行きたい』と思いました。
鈴木:あの展示を見て、自分も同じようなことをしたいと感じたんだ。
井澤:そうですね。まさに自分のやりたいことが実現されていると感じました。
鈴木:『ガングプロジェクト』は2年連続でクリスマスに開催したんですよね。我々の家庭的にはやや支障が…(笑)。
井澤:僕も、なぜ教授と一緒に六本木でクリスマスを過ごしているんだろうって。しょっぱい思い出として残っています(笑)
鈴木:(笑)。でも、いいクリスマスだよね。
井澤:いいクリスマスでしたね。
モチベーションの高い仲間と
作りたいものを実現できる環境
鈴木:実際にIAMASに入学してからはいかがでしたか。
井澤:思い出補正が入っているかもしれないですが、今のところ人生のピークだったかもしれないなって(笑)。それくらい、楽しい2年間でしたね。
鈴木:どんなところが楽しかったのですか。
井澤:人と環境に尽きると思います。近藤(崇司)君とか須木(康之)君とか、作りたいものや思想をしっかりと持っていて、それを実現していこうというモチベーションの高いメンバーが多くいる環境だったので、周りの本気度の高さにすごく引っ張ってもらえましたね。
加えて、『作りたい』と思った時に、すぐに制作できる環境が準備されていたことも恵まれていました。
鈴木:確かに、あの頃はすでにレーザーカッターも入っていたし、3Dプリンタもガンガン動いていたよね。
井澤:当時、他にあれほど専門的な機材が揃った環境は少なく、本当にやりたいことを実現しやすかったです。今だから言えるんですけど、3Dプリンタの樹脂はほとんど自分が使ったんじゃないかってくらい、活用していましたね。
井澤:プロジェクトも楽しかったです。1年目はIAMASに入るきっかけにもなった『ガングプロジェクト』に参加して、自分のアイデアを実際に触って体験してもらえる所まで形にすることができました。2年目は日本写真印刷株式会社(NISSHA)との共同研究に携わることができたりと、プロジェクトにも恵まれていました。
卒制もNISSHAの延長で制作したので、作品、論文ともにある程度ベースができていて比較的順調でした。でも卒制のデザインをメインで任されていたので、自分の研究と並行して進めることは少し辛かったですね。
鈴木:デザイン班は、毎年辛いよね。
井澤:ちょうどチームラボのインターンも重なったので大変でした。スカイプでデザインチェックをしながら進めていったのを良く覚えています。
鈴木:チームラボのインターンにはどれくらい行っていたのですか。
井澤:2年生の夏にAXISで展示があったので、それまで就職活動は全くしていませんでした。たまたまその年はチームラボが入社説明会に来てくれて、その際ににポートフォリオを見てもらい、10月に1週間程行きました。短い期間だったので、断片的にしか関わることができなかったのですが、、最終日に「内定」と言われて。冗談かと思ったら、本当に内定でした。
鈴木:チームラボに入って、何年になりますか。
井澤:6年目になります。
鈴木:実際にチームラボに入社していかがでしたか。
井澤:チームラボでは、実際にものを作る部分ではなく、その前段のお客様の要望に対して、どんなアウトプットを提供したら良いのか考え、それを伝えるための提案書を作ったり、予算やスケジュールをまとめる仕事をしています。
僕は人と人の間に入って物事を伝えるということがすごく苦手でしたし、プロジェクトをどう進めていいのか分からず、最初の半年はかなり辛かったです。実はIAMASで主査だった赤羽さんに「仕事辛いです」という泣き言をメールで送ったことがあります。
鈴木:そんなことがありましたね!赤羽さんから「井澤がすごく悩んでいるんだよね」という話を聞きました。
井澤:その後、規模の大きいプロジェクトを任せてもらい、お客様や社内のチームメンバーが何を求めているのかを愚直に考え、1人ではなくチームでものごとを考え進めていくための方法を学びました。その結果、プロジェクトの進め方を一通り掴むことができて、辛い時期を乗り越えることができました。
鈴木:チームラボでは“カタリスト”として仕事をしているとのことですが、カタリストの仕事をもう少し詳しく教えていただけますか。
井澤:簡単に言うと、プロジェクトのアウトプットのクオリティを高めるために出来ることはなんでもやり、最終形に責任をとる人だと思っています。チームラボの仕事は、デザイナー、建築家、プログラマー、音楽や映像を作る人など専門が多岐にわたる人が集まってひとつのチームになっています。その中で、お客様との接点になるのがカタリストなので、チームの共通言語となり、各専門家をまとめてプロジェクトを推し進めるのが仕事ですね。
鈴木:仕事をする上で、IAMASでの経験は生かされていますか?
IAMASとチームラボに共通する文化
井澤: 専門性を持った人が集まってチームを作ることで、一人ではできないような、大きな、今までにないサービスやソリューションを実現出来るとチームラボは信じているのですが、IAMASはそれに近いところがあったように感じています。自分が在籍していた頃はアカデミーがあり、専門コースも年齢も幅広く、本当に色んな人が身近に大勢いました。アカデミーがなくなったことで、チームでものを作るという機会が今は少なくなっているのかなと、思うことがあります。
鈴木:なるほど、確かに学生の人数自体も少なくなっているし、アカデミーがなくなったことは大きいかもしれないですね。
井澤:今回初めて新校舎に来ましたが、キレイにはなっているんですけど、専門やプロジェクトで部屋が隔たれておらず、ゴチャッとした部分が残っていてよかったなと思いました。アートやデザインなど専門の違う人たちがコラボレーションできる接点が残っていてよかったです。部屋も区切ってしまうと会社の部署みたいになってしまいお互いが何をやっているのかも見えなくなってしまうと思ったので。
IAMASにいた頃は、色々な人の話を聞くことがとても楽しかった。チームラボは、色々な人の意見を聞く、レビューの文化をすごく大事にしているのですが、IAMASも同じような環境だったなと感じます。
IAMAS在籍時に唯一後悔しているのは、自分の作った物についてもっと人の意見を聞けば良かったなということです。色々なバックグラウンドの学生や教授がいたのに、なんで話を聞かなかったんだろうって。本当にもったいなかったなと感じています。
IAMASは全てに全力で取り組んだ“青春のとき”
鈴木:最後に、IAMASを一言で表すと?
井澤:難しいですね…。
(しばらく考えて)青春っていう言葉以外、出てこなかったですね。ちょっとダサ過ぎますけど。本当に楽しかった記憶しかないんですよ。自分のやりたいことだけをやっていられて、自分のやりたいことをやってる人たちが周りにいて。だから、「青春」という言葉が一番しっくりくるかもしれないです。
情けない話ですが、IAMASに入る前は、本気でがんばってきたと自信を持って言えることが何もないんです。どこかで手を抜いてサボってしまった後ろめたさがありました。
IAMASでは自分がやりたい研究をただひたすら一生懸命やっていたので、大きな後悔はなかったと感じています。そういう意味で青春ぽいのかな。ダサいですけどね(笑)。