INTERVIEW 027
GRADUATE
山辺真幸
データビジュアライズデザイナー/2003年卒業
科学と社会の対話をうながすのがデザインの仕事
ope体育_ope体育app|官网変異株が広がる過程を、ウイルスの遺伝情報をもとに3次元グラフによって地図上に描き出した研究で高い評価を得た山辺真幸さん。IAMAS卒業後は在学中に指導を受けたアートディレクターの永原康史さんの事務所を経て、デザインファームを設立。美術館?文化施設などのWebサイトの制作を手がけてきた山辺さんは、現在、慶應義塾大学大学院後期博士課程で情報可視化デザインの研究に取り組んでいます。なぜ情報可視化に興味をひかれたのか。学長の鈴木宣也教授が話を聞きました。
ビッグデータを「読み解く」ための可視化
鈴木:まず最近の仕事や研究について教えてください。
山辺:今は「データビジュアライズデザイナー」という長い肩書を名乗っています。デザイナーであるというのは昔から変わっていないのですが、最近は情報可視化を専門にしています。
鈴木:データの可視化とはどのような仕事?研究ですか。
山辺:最近は主にビッグデータを扱っています。ビッグデータという言葉自体は聞き慣れたものになっていますが、あまりにも膨大なため、その全体像や複雑性を一般の人々が直に感じる方法はあまりありません。それがさまざまな問題を引き起こしているように思います。巨大なデータを視覚的な表現に変換することで、普通の人にとっても直接見て気づきを得られるものにしようというのが目的です。
例えば、NHKとの取組みでは、4Kや8Kの技術を使ってビッグデータを可視化し、専門家とともに読み解く番組やインタラクティブな展示を作りました。マイクロプラスチックが海洋に流出する様子をデータから高精細に可視化するものや、新型コロナに関しては、変異株の世界的な広がり、全国の感染状況、ワクチン接種についてSNSでの反応や感情の伝播をTwitterのデータから可視化しました。そのほか、地球環境科学の研究者との取組みでは、今、SDGsとして環境負荷をいかに軽減するかが課題となっていますが、各国で消費する農作物の輸入によって輸出国で生産のために消失する森林面積を可視化しました。
鈴木:昨年9月には可視化情報シンポジウム アートコンテストで「ope体育_ope体育app|官网ゲノム系統樹の3次元可視化」という作品が大賞を受賞されましたね。
山辺:ope体育_ope体育app|官网の可視化は2020年の夏頃から行なっているものです。今ではウイルスが変異する問題はよく知られていますが、武漢からヨーロッパやアジアへと拡大した頃はまだあまり変異について広く語られていませんでした。一方、研究者の間では感染力が強まる変異に注目が集まっていたので、どのように変異が広がっていくかを追跡して可視化してみようということになりました。世界中の分析結果がリアルタイムに集まる変異のデータベースを使用して、ウイルスの系統を空間的に可視化するアルゴリズムやシステムを開発しビジュアルをデザインしました。それらをベースとしたCGが「クローズアップ現代+」など報道番組で使用されました。ご存知の通り、その後さまざまな変異株が現れました。新たな変異の特徴を分析し移り変わりを理解する上で、一般にもわかりやすく美しい点が評価されたのだと思います。
鈴木:もう少し可視化について詳しく教えてください。ビッグデータの活用方法としては、統計処理をしてマーケティングで使うのが一般的だと思います。一般的な方法と山辺さんが行っている可視化では、見えてくるものがどのように違ってくるのでしょうか。
山辺:私が研究しているデータ可視化は、統計学やデータサイエンスで行うように数値を視覚的に認識できる形に変えて認知負荷を下げる、つまり「効率的に理解するための可視化」とは少し異なります。
政府が「データ駆動型社会」や「Society 5.0」を提唱しているように、行政も企業も多くのデータを統計処理して、問題を解決する道筋を作らなければならない状況になってきています。その中でこぼれ落ちてしまうデータの多様な解釈のあり方や不完全性、いわば「データの限界」を認識する方法も必要ではないかという問題意識が研究の出発点になっています。研究のテーマとしては、“情報の可視化の再定義”としています。
鈴木:これまでは、何かを調べたいという目的に沿ってアンケート調査などでデータを取って、そこからサンプリングし、統計、分析をしていました。ビッグデータの時代になってからは、データはすでに揃っている状態で、膨大で多様な母数がある。それをどう再編集するかが必要ということですよね。
山辺:そうですね。ビッグデータは目的をはっきりさせてからデータを集めているのではなく、「このデータから言えることは何か?」という、普通思い浮かべるデータの使い方とは逆になっている場合が多いです。
人はデータがたくさんある言われると、漠然と「正しそう」と思ってしまいますが、知りたい事柄に対して分析対象のデータやその分析プロセスが適切かどうかを見極めることは実はとても難しい作業です。そこに隠れたバイアスやブラックボックス化などの問題も入りやすい。だから膨大なデータの可視化を見ながら統計や各種の専門家と一般の人が一緒に現象を読み解くということが重要だと考えています。その「読み解き」ができるような可視化のデザインを探究しています。
デザイナーとしての原点
鈴木:IAMASにいた頃も同じようなことをしていた記憶があります。
山辺:はい。年次制作で発表した「新しいひらがなのための装置」は、今の可視化への興味にもつながる作品です。ひらがなの成り立ちは、中国から漢字が入ってきて崩し文字を書いていく過程で、変体仮名ができてひらがなとして定着したものですが、そのプロセスを幾何学的に数式化できるのではないかというコンセプトでした。もともとは授業で出された課題から出発したものですが、アップデートを重ね、東京TDC賞インタラクティブデザイン部門にノミネートしていただきました。
鈴木:この作品の制作は、授業の課題として作ったものでしたよね。
山辺:永原さんと古堅(真彦)さんが二人で担当していたゼミで、「日常の中にあるアルゴリズム性を収集し表現する」という課題でした。そこで、漢字とひらがなの間にあるアルゴリズム性に注目しました。
仮に、日本の文字を全く知らない人にひらがなとカタカナをいくつか見せた場合、ひらがなやカタカナそのものを知らなくても、成り立ちの違いによって現れる形の特徴を手掛かりとして分類できるように思いました。その特徴を規定しているアルゴリズムを数式やプログラムとして取り出せないかと考えてスタートしました。それが可能であれば、現実には存在していない新しいひらがなも作ることができる。例えば、アルファベットをひらがな化したらどうなるか、そういう想像力も掻き立てられます。
鈴木:そういう意味では、IAMASでやっていたことが今もそのまま活きていますね。
山辺:そうですね。IAMASに行ったことでその後の考え方や興味が大きく変わりましたね(笑)。いい意味で、ずっとIAMASを引きずっているというのはありますね。
鈴木:他に、IAMASで印象に残っていることはありますか。
山辺:今でも思い出すのは、永原さんのデザインの講義です。私はプログラミングをしたり、アート作品も作ってきたのですが、デザイナーという仕事にこだわりたいとすごく思っています。その根底を当時のデザイン史の講義が支えているように思います。
講義の中で、鉄が建築素材として使えるようになった頃のイギリスで、世界で最初に鉄で作られた橋のデザインに触れた時がありました。その橋は眼鏡橋のような石の橋の時代のフォルムだったんですね。当時、鉄で巨大な構造物を作る技術が乏しく、木工や石工のノウハウで造られたためです。鉄ならではの最適な形があるはずなのですが、素材とテクノロジーをベストな形に結びつけるまでには時間がかかるという話がとても好きで、それを見つけるのがデザイナーの仕事だとその時に感じました。
同じようなことは現在でも起こっていて、ビッグデータやAIなど、テクノロジーはどんどん進化していくのですが、一方でテクノロジーを社会にフィットさせていく過程でさまざまな問題が生じる。そこにデザインの役目があるように感じていて、ずっと仕事にしたいと思っています。
鈴木:山辺さんは慶應義塾大学大学院政策?メディア研究科博士課程に籍を置いていますが、博士課程に進学しようと思ったのはなぜですか。
山辺:進学を考えるようになった理由の一つには、文化施設などのWebサイトやUIデザインの仕事を10年ほど続けた頃で、それを論文や研究として形にしたいという思いがありました。
それと、次に何をやるのか考えたいというのもありました。IAMASに入ってバーッと世界が広がったという体験があったので、それをもう一度感じてみたいというのがあったのかもしれないです。
技術と表現の橋渡し役に
鈴木:データ可視化の研究を始めたのはいつ頃ですか。
山辺:私が所属している脇田玲研究室は、シミュレーションとビジュアライゼーションを研究テーマにしています。2016年に日本科学未来館との共同研究の話があり、一緒にやりませんかと誘われました。未来館のシンボル展示である「ジオ?コスモス」にAR技術でデータを映す「ジオ?プリズム」という新しい常設展示を設置するにあたり、そこに海洋研究開発機構が計算した地球の全海流を高解像度でシミュレーションしたデータを表示するというものだったのですが、面白そうだったので参加することにしました。それが最初の巨大なデータ可視化です。この研究がすごく楽しくて、ハマってしまいました。
鈴木:どんなところに楽しさを感じたのですか。
山辺:少し話が戻るのですが、永原康史事務所では愛?地球博の日本館のWebサイトのディレクターを約2年間にわたり担当しました。実際の万博会場の室内の温度や来場人数といったデータをオンライン上のサイバー日本館にリアルタイムに出すというコンテンツをいくつか作ったのですが、この時に技術者とデザイナーがうまく寄り添うための橋渡し役を体験させてもらい、その重要性を痛感しました。
その後立ち上げたデザインファームでは、その時の経験を生かして、情報を出す人と受け取る人の間をちゃんと橋渡しするような仕組みを技術者とデザイナーが作るということをモットーにしていました。
鈴木:技術と表現とを橋渡ししながらディレクションするというのは難しい領域ですよね。
山辺:未来館の展示でも、データの専門家と未来館のスタッフとの間でコミュニケーションが重要な要素で、“橋渡し”が必要でした。
一般の人が楽しく学べ、美しいと感じるコンテンツのデザインも重要ですし、スーパーコンピュータで計算された巨大なシュミレーションデータをスマートに展示するための技術的な問題も解決しないといけない。ライゾマティクス?リサーチ(当時)がシステム全体を開発した上
それ以来、可視化の共同研究が増えてきました。次に参加したのがDAIKIN designと行った室内の空気を可視化するというプロジェクトです。
目に見えない存在をデータを介して社会にどう顕在化させていくかというところは一般的にも広がるテーマで、そこから今の研究テーマに落ち着いていきました。
鈴木:今の博士課程を修了した後は、どのような活動をしたいと考えていますか。
山辺:今の研究の延長にあるデザインや取り組みは続けていきたいですね。これからますますAIやビッグデータを活用するシーンは増加しますし、それに伴って「その中身はどうなっているのか」という関心に答える必要が出てきます。中身はわからないけど正しそうだと受け入れるより、データの可視化を通じて対話するという形を作っていきたいと考えています。そのようなデザインプロセスを社会に還元することで、データを持つ企業や政府がクリエイティブなエンジニアにオーダーしたり、デザイナーが可視化メディアをデザインできるようにするところまでが今の研究テーマなので、そうしたデザインプロセスを広く伝えていきたいと思っていますね。
鈴木:ディレクションの出来る人なのか、デザイナーになるのかわかりませんが、山辺さんの経験を交えて、こうした橋渡しのできる人を育てていくという展開は、大いに期待できますね。
最後にIAMASに期待することはありますか。
山辺:非常勤講師として瀬川先生と一緒に「メディアデザイン演習」を担当させていただいていますが、オンラインなので学校の雰囲気がどうなのか分からないんです。私が学生だった当時と変わっていますか?
鈴木:あまり変わっていないと思いますが、山辺さんが話していた、社会とどうつないでいくかという部分は以前よりかなり意識しているところがあります。アートや表現でも、単に自分がやりたいからというだけではなく、社会とどうつながっていくか語っていく必要があるし、デザインに関しても社会をどう巻き込んでいくかという視線を持った人が増えています。それぞれの専門性を活かしながら、社会を意識した表現をしている人が増えている気がします。
山辺:なるほど。IAMASに期待する部分はやはりマージナルな部分ですね。技術系、文系、工学系、芸術系とわかれるのではなく、その隙間をついていくべきなんじゃないかなと思います。
テクノロジーを社会にどうフィットさせるかという部分は、突き詰めると心の問題でもあって、技術や表現だけでなく心理学や認知科学につながっていると感じています。それに限らず研究をすると意外なものがつながることがある。IAMASには物事の多面性を感じながら研究している人が多いように思うので、そういう面を大事にしていくといいのではと思います。
取材: オンライン
編集?写真:山田智子