INTERVIEW 029
GRADUATE
平瀬ミキ
アーティスト/2019年修了
メディアとの掛け合わせで、彫刻表現を拡張する
彫刻の素材や手法?関心と、映像やSNSのデータなどを組み合わせ作品を制作している平瀬ミキさん。IAMASで主査を務め、修士作品の制作に伴走した松井茂准教授が、作品を生み出すまでの試行錯誤や作家を続ける覚悟について聞きました。
「大学からIAMAS、現在まで、興味はつながっている」
松井:平瀬さんがIAMASを卒業したのは2019年ですよね。
平瀬:そうです。今年で卒業して3年が経ちました。
松井:卒業後に制作した作品『三千年後への投写術』が、「文化庁メディア芸術祭」の第25回 アート部門 新人賞と「やまなしメディア芸術アワード2021」のY-GOLD(最優秀賞)を受賞。さらに「第14回恵比寿映像祭」、新宿眼科画廊での展示と、発表する機会が続きましたね。卒業後の作品について紹介してもらえますか。
平瀬:『三千年後への投写術』は鏡面加工された石にレーザー加工機を用いて、文字やiPhoneで撮影した写真を彫刻加工し、その表面に光を当て、反射した光によって像を壁面に写し出すという作品です。化石エネルギーが枯渇するかもしれない未来に向けて、データや映像を留める方法として石を使って記録することに着目しました。これまで制作してきた石にレーザー彫刻をしたり、光を使ったりする作品の手法を複合させる形で生まれました。
松井:『三千年後への投写術』は発表しながら完成して着地するまで、2年以上かかっているわけですよね。その間に『Face to Sur-face』という作品も発表していますが、どんな2年間でしたか。
平瀬:『Face to Sur-face』は2020年の3月に新宿眼科画廊で発表した作品です。修士作品の『Translucent Objects(半透明な物体)』の次の展開に行き詰まっていたのと、光を使った作品を前々から作りたいと考えていたので、光の反射の連なりをアニメーション的に見せる作品を作りました。
この作品で光の反射や物体があるから現れてくる光という着眼点を得たことが、『三千年後への投写術』の石の反射を使うというアイデアにつながりました。自分の興味のあるエッセンスはつながっているんだと実感しましたね。
松井:興味のつながりという話で言うと、平瀬さんは武蔵野美術大学造形学部彫刻学科の出身で、彫刻の制作から芸術活動が始まっています。僕が主査した最初の学生が平瀬さんなんですが、受験の時から印象に残っていて、彫刻科から来て、その興味をIAMASでどう展開するのだろうと楽しく観察してました。
平瀬:本当ですか?!私は、入試の時に松井さんから研究計画について厳しいことを言われて、泣いた記憶があります。
松井:そんなことはないと思うけどなー(笑)。入試の時、
平瀬:大学のカリキュラムは1、2年生で素材と表現を実習的に学んで、3年生から自由に作品を作っていくというものでした。鉄などの従来の素材を使って作品を作ることは楽しかったのですが、それで何を表現するかで悩んでいました。
そこで関心のあったコミュニケーションの問題をテーマに作品を作ろうと考えたのですが、その時に手法として、以前サークルで制作したサンバの衣装で使った電子工作がマッチするのではと思いました。その延長でPerfumeのライゾマティクスの活動やメディアアートという分野を知りました。
松井:Perfumeの衣装やライゾマがIAMASを知るきっかけだったのですね。
平瀬:そうです。私は同じものを作り続けていられない性分で、サンバの衣装を作って、次に自分の作品を作ってと、いろいろなものを間に挟みつつ、作品作りに戻ってくるということを周期的に繰り返しています。電子工作やプログラミング、SNSやデータの問題などを扱うようになり、卒業後も制作を続けていくのであれば、彫刻学科ではなく、情報やメディアを学べる学校に行った方がいいのではと考えて、IAMASを受験しました。だから彫刻をするためにIAMASに行こうと考えていたわけではないんです。
松井:現代アートの研究者としては、彫刻は時代の中で後退しつつあるジャンルという印象を持っていたんですが、平瀬さんは映像も使うし、レーザーカッターでTwitterの言葉を彫るとか、わざわざ情報をモノ化したり、僕の想像とは随分違う彫刻からの展開をしている気がしていました。主査としてなにか教えたというより、彫刻表現を発想源に、色々なメディア表現を見せてもらったという感じでした。
いま取り組んでいることを彫刻と呼ぶかは措いて、武蔵野美術大学からIAMAS、そして現在と、平瀬さんの考えは一貫しているように見えますけどね。
平瀬:本当は「本腰を入れてプログラミングを学んで、メディアアートを作るぞ」という気持ちで入学したのですが、IAMASにはもっとゴリゴリにプログラミングで表現をされている方がいる。今からそのレベルを追求するよりは、彫刻を学ぶ中であったものの在り方や物質への関心を活かして、素材をメインにして表現する形に結果的に落ち着きました。
松井:作品以前の習作っていうか、プロトタイプみたいなものを日頃からたくさん作っていたことも印象深かったですね。隠してたわけじゃないんだろうけど、見えないところでこんなに実験したりしている学生は珍しいなと思ってました。何かのタイミングでその取り組みを知ってからは、平瀬さんが試行錯誤しているところを観察していただけでしたね。
平瀬:1年生の時に参加した『あたらしいTOYプロジェクト』が、とりあえず作って、それを持ち寄って考えるという試作性の強いプロジェクトだったので、その影響を受けているのかもしれません。
プロジェクトの担当教員だったクワクボリョウタさんが、「考えを熟成されてから作る人と、とにかく作ってから考える人、二通りの制作方法がある」という話をされたことがあったのですが、私は目の前に過程のモノがあった方が話しやすいという感覚があったので、後者の方法に切り替えました。だから松井先生がそういう印象を持たれたのかもしれませんね。
松井:平瀬さんは「100個くらい案を出して」と言えば本当に100個くらい試してくる人で、ほとんどの学生は10個も出さないんですよ。修士作品の『Translucent Objects(半透明な物体)』を制作する時も、完成するまでのプロセスはもちろん、形になってからもクオリティを上げるための実験を繰り返してましたよね。あの時くらいかな、僕が教員らしく指導したのは。他のことをするな、っていう指導で(笑)、とにかくクオリティを上げることに専念してもらいました。もう何のクオリティを上げてるのかわからないようなところまで追い込んで、あ、完成した、みたいな感じがあったよね。『三千年後への投写術』が2年がかりということに繋がるけど、平瀬さんのしぶとい制作の方法論が確立されたタイミングがあった気がしてます。
平瀬:最後の方は、これ以上どうすればいいんだろうと思っていました。でも一年かけてひとつの作品をじっくり仕上げるということを初めて経験して、作品というのはこうやって詰めていくんだというのを学びました。ここまで仕上げないといけないというビジョンが見えたのは大きかったです。
松井:それなりの鑑賞者には、作者がいかに考えを深めて手を動かして悩んだかっていうプロセスが、作品から感じ取れるものなんですよ。そういう部分がコミュニケーションとして知的に刺激される。良い作品を見たって思うのは、作品が背後に持つ思考の痕跡に触れたときなんだよね。そういうところがあるんですよ。
修士論文も、作品を作っていく思考錯誤の中で出会った過去の作品との関係がしっかり整理されていて、とても面白かったです。
平瀬:修士論文は、私が書いたというよりは、先生たちが書いたんじゃないかという気持ちです。私は自分の作ったものの立ち位置を制作後でないと考えられないので、先生や周りの人から「こういう似た作品がありますよ」「これが参考になりそうですよ」と次々と教えていただけたのは本当に恵まれていました。
そもそも私は彫刻学科の出身で、映像や音を触ったことのない状態だったので、機材と技術を持った人がいるIAMASにいなければアウトプットが映像にはなりませんでした。そういう意味でも、すごくいい環境にいたと感じています。
松井:せまい意味でのメディアアートに陥らず、より大きな枠組みでコンテンポラリーアートにつながっているのが僕にとっては理想的なところですね。
平瀬:私は根なし草というか、「この分野にずっといるぞ」というこだわりがあまりないので、だからこそ出会った人や環境によって気軽に流れ着いていける良さがあるのかなとは感じています。
作品を作り続ける覚悟
松井:卒業後は東京藝術大学先端芸術表現科で助手をしていましたが、IAMASにいる間にアーティストとしてやっていく覚悟を決めたのですか。
平瀬:いいえ、全然です。卒業後の3月に新宿眼科画廊で「平瀬ミキ個展 差異の目」という個展をやったのですが、そこで手応えがなかったら将来のことをちゃんと考えないといけないなと思っていました。卒業してからも常に辞めどきをずっと考えていました。今年2月の恵比寿映像祭への出展が決まった時に、「私は作っていきたいんだ」とようやく覚悟が決まりました。
松井:え、そんなに最近のことなの!
平瀬:そうなんです。自分は作家に向いていないと思っていたので、IAMASを卒業してからもずっと迷っていて。週5の会社勤めも試してみて向いていなかったこともあるのですが、自分が思っているよりも表現したい作りたいタイプなんだなと気がついて、人生の中でちゃんと作る時間を作りたいというのを改めて思ったというのが今の気持ちです。
松井:大学院は制作環境が整っているし、人生で自分のために使える時間が最大にあるタイミングだと思う。卒業すると締切もなくなるしね。まずは自主的に制作していくしかない。生業に追われて、残念ながら修士作品で終わってしまう学生も多くいるのが実際。平瀬さんは、コンスタントに作品を制作し、応募したり展示をしたりできて、卒業して次の一手が出せてよかったと思う。言わば自立できたんじゃないかなぁ。
平瀬:私も卒業して1年くらいは修士作品しか応募していない時期が続いて、このままだとこの作品が最後になってしまうとめちゃくちゃ焦っていました。だから『三千年後への投写術』を発表できて、結構安心しましたね。
先ほどもお話ししたように、修士作品は自分が作ったというより、周りの力が大きくて。大学院にいたからこそ作れたという部分があったので、卒業後に一人で作品が作れるのかとすごく不安があったんです。だから、ようやくというか、安心しました。
あとは、仕事が大学の助手だったというのも大きかったかもしれないです。
松井:学生の反対の立場になるとわかるかもしれないけどね、面白いアイデア持っていたりする学生って、こちらにとって刺激になるんですよ。内心ライバル視できるような学生だと尚良い。そういう張り合いって、大学に係わる面白さかもしれないね。いまの職場(東京藝術大学大学院映像研究科)での取り組みが、平瀬さんの次のステップにつながるんじゃないかと思うな。
平瀬:学生の方が深く考えているなと落ち込むこともありますが、この課題に対してこういうものを出してくるんだと、自分の引き出しにない手法を見せてもらえるのはありがたいです。もう一度学生気分で、ひたすら学ばせてもらっている気持ちで勤めていますね。
松井:今後の活動の予定はどんな感じですか。
平瀬:2021年3月に出した『三千年後への投写術』は、まだプロトタイプ的な部分があって、サイズ感やどう見せるかという部分でまだ試してない部分がまだいろいろあります。電力を批判している作品なのに、今は電気を使っているのも恥ずかしくて……。自然光で実現できるようになってはじめて、コンセプトとマッチする作品になるという課題を持っています。
松井:確かに、結局電気かと思ってしまうところはあるね。
平瀬:23年にこれまでの作品をまとめて展示したいと考えているので、『三千年後への投写術』のバージョンアップとともに準備していきたいと思います。
取材: オンライン
編集?写真:山田智子