INTERVIEW 032
GRADUATE
カルティカ?メノン
アートコーディネーター, アーティスト/2022年修了
人と人とのつながり、そしてそこから引き出される自分自身の記憶を紡ぐ
フィールドワークをもとに、地域の記憶と自分の記憶を重ね合わせた作品を制作するカルティカ?メノンさん。その一方で、カレーやチャイを振る舞うイベントを開催するなど、抜群のコミュニケーション能力で、どこに行っても「カルちゃん」と親しまれています。インド出身のカルティカさんのアーティストとしての原体験や現在の活動について、金山智子教授が聞きました。
根尾の空き家に入った瞬間、目が開いた
金山:IAMAS在学中は根尾に3ヶ月滞在して、空き家のフィールドワークをもとに修士研究?作品などを制作しました。現在もアーティスト?イン?レジデンスとして京都や福井などに滞在しながら作品を作り続けています。IAMASにはフィールドワークに興味があって入学したのですか。
カルティカ:IAMASに入学する以前は、日本の企業で3年間経理の仕事をしていたのですが、退屈で辞めたいと考えていました。アートに興味があったので、海外の大学に出願してみたもののうまくいかない。モヤモヤして過ごしていた頃、たまたま知り合ったアートに興味のある友だちが、2019年あいちトリエンナーレの教育プログラムに選ばれて、ワークショップの手伝いをすることになりました。そこでIAMASの卒業生の山口伊生人さんと出会いました。
金山:そこでIAMASを知ったのですね。
カルティカ:IAMASの多様なバックグラウンドの人が集まっているところに興味を持ちました。アートだけではなく、サイエンスにも興味があったし、インドのIT企業で働いている友だちがアプリを簡単に作る姿がクールでカッコよくて、プログラミングをやってみたいという憧れもあったので。
金山:入学当初はプログラミングを学んでみたいと思っていたんですね。
カルティカ:1年生の時にプログラミングを学んでみたのですが、「こういう作品がつくりたい」というような目的がないままプログラミングだけを勉強しようとしたため、あまり面白さを感じられませんでした。
金山:プログラミングも含めて、1年生の頃は色々なことに挑戦しながら自分のやりたいことを模索していた中で、初めて一緒に根尾にフィールドワークに行って、空き家に入った瞬間、カルちゃんの目がカッと開いたように感じました。
カルティカ:初めて空き家に入ったのになぜか懐かしくて、「私のところに来てくれた」という不思議な感覚がありました。その土地に滞在して、いろいろな体験をしてきた人たちの話を聞くのは楽しいし、フィールドワークは私の強みになると思いました。
金山:道中の車の中でも、他の学生は爆睡していたのだけど、カルちゃんだけが起きていて、景色を見ながら「おばあちゃんのことを思い出した」と話してくれたことをよく覚えています。
フィールドワークを通して、外のものを見て何かを吸収するというのではなく、外のものを介して自分の内面を見直して、外と自分がつながっていく。そのプロセスが最終的に修士作品の核になっていきましたね。
カルティカ:最初は根尾でいろんなことを体験していく過程で何かを得られるんだろうなと想像していたのですが、自分の中にもいろいろなものが詰まっているんだということに気がつきました。そういう意味でも、IAMASに来てよかったと思いましたね。
金山:カルちゃんはアートのバックグラウンドはないのだけど、趣味で切り絵をやっていた。加えて、インドにいた頃に小学校の壁にグラフィティを描いた経験もあった。その二つの要素が、最終的に作品の中に入ってきたことが面白いと思いました。あのアイディアはどこから生まれたのですか。
カルティカ:偶然です。IAMASに入った時は、切り絵は絶対に使わないと決めていました。でも中間発表のときに、本当に自分がやりたいことはなんなのか、自分自身にそんなに厳しいルールを作る必要があるのか、など自問自答を繰り返し考えて。自分のルールに縛られることはないんじゃないかと思って、小さい切り絵を作ってみたら、あらためて私は切り絵が好きだと気づいたんです。
カルティカ:グラフィティは10年前に大学を卒業してやることがなくてどうしようと思っていた時期に、友だちからインドの田舎にある学校の壁にペイントしてくれないかと頼まれました。
でもその壁を毎日見続けるのは子どもたちなのに、縁もゆかりもない私が「この絵、かっこいいでしょ」と押し付けるのはよくないと思って。子どもたちから話を聞いて、子どもたちが普段見ているものや将来の夢をモチーフとして取り入れたり、子どもたちと一緒に絵を描いたりすることにしました。
金山:その時から既にワークショップをやっていたんだ。
カルティカ:当時は周りでワークショップをしている人もいなかったし、ワークショップの知識も全くありませんでした。だけど、どういう人のために作品を作るのか、どういうものだったら長く役立ててもらえるのか、そういうことを私は自然に考える人なんだなと気がつきました。
IAMASに来て、ワークショップの授業を受けて、あらためて私は人と対話しながら制作することに興味があるんだなと発見しました。
「友だちをどのようにつくるのか」が最近のテーマ
金山:卒業してからのカルちゃんの活動を見ていると、修士作品の時の、自分の中と外を行ったり来たりしながら、過去も含めて振り返っていくオートエスノグラフィー手法を、日常の中で繰り返すことで、それが結果的に作品として結実していくというサイクルが出来上がっている印象を受けます。
カルティカ:その通りですね。今は毎日の生活から生まれるつながりに一番面白さを感じています。山口県に来てからの私のテーマは「友だちをどうやって作るのか」ということ。会う人会う人に「どうやって友だちを作ってますか」と聞き回っています。
インドにいた頃は学生だったこともあって、考えなくても友だちができました。でも日本に来てからは外国人であることで生きづらさを感じる時期もあったし、卒業してからは職場以外の友だちを作る機会も減ってきています。人と人のコミュニケーションがどこから始まるのか。言語がハードルになっているかと思って日本語を一生懸命勉強したけれど、日本語を話せるようになっても解決しないときもある。それ以上の何かがあるはずと探求しているところです。
金山:他のアーティストの手伝いをする中で、段根尾にカルちゃんが滞在し始めた時、根尾の人たちは最初こそ「日本語喋れるの?」と不安そうでしたけど、そのハードルを越えたら、カルちゃんがインド人であることを忘れているような距離感で接しているように見えました。まさに、それ以上の何か、ですよね。
カルティカ:根尾の人と一緒にテレビを見ていて、私が日本の有名な人や場所を知らないと、「なんで知らないの?この人、めっちゃ有名よ」「学校で習わなかったの?」って言われるんですけど、みんな私が日本人じゃないことを忘れているんですよね。
金山:毎年根尾プロジェクトの発表?展示をしているのですが、カルちゃんの展示をしたときに根尾のおじいちゃん、おばあちゃんが徒党を組んで押し寄せてきて。後にも先にも、あんなにたくさんの人が来てくれたのはあの年しかない。カルちゃんすごいなって思いました。今でも根尾に行くと、「カルちゃん、元気ですか?」って聞かれます。それこそ、友だち、ですよね。カルちゃんのコミュニケーションの仕方を見ていると、いわゆる「コミュ力」とは違うのだけど、もっと根本的な何かが備わっていると感じます。
カルティカ:私は、コニュニケーションはおしゃべりではないと思っています。私は誰かのライフストーリーにとても興味があるからどんどん聞きたくなるけれど、「天気がいいですね」みたいな世間話は苦手で、喋らないことも多いです。
金山:何について話すかも大事だけれど、それよりも受け入れ方だと思いますよ。話をしているおじいさん、おばあさんたちがすごく嬉しそうだし、おそらく聞き方が優れているのだと思います。
カルティカ:共感できる部分があるかどうかなのかもしれないです。日本だけではなくて、別の国にいったらどうなんだろうというのにも興味があります。
金山:本当に色々なところを飛び回っている印象があるのですが、YCAM(山口情報芸術センター)に就職してすぐに福井県にアーティスト?イン?レジデンスに行ったのには驚きました。
カルティカ:理解のある職場でありがたいです。
金山:そこでも記憶に関する作品を制作していましたね。
カルティカ:インドの祖母の話をもとにした作品です。根尾でたくさんのおばあちゃんの話を聞いたのですが、そういえば自分のおばあちゃんの話を聞いたことがなかったなと思って、インドの祖母にインタビューをして、それを作品に用いました。
祖母と根尾のおばあちゃんは体験していることは全く違うように見えるけど、周りへの気の使い方とか、考え方とか、皮肉の言い方とかがすごく似ている。どこかで会ったことがあるんじゃないかと思うくらい。世界中の、同じ時期に生きている人に共通したトラウマのようなものがある気がして、それがすごく面白かったです。
金山:おばあちゃんは聞いてもらって嬉しかったんじゃないかな。
カルティカ:「そんなこと聞いてくるのはあなただけよ」と言われました。特に女性や子どもの歴史はどこにも残っていないし、男性でも仕事以外の部分は見えていない。私は、そういう見落とされがちな日常的な部分を大事にしたい。その時代の家の中がどうなっていたのかを残していきたいと思いました。
金山:次は福島県に行くんですよね。何をするかはもう決めたのですか。
カルティカ:11月の寒い時期なので、こたつに入って、みんなで縫い物をしたり、カレーやチャイを振る舞ったりしながら、来てくれた人の話を聞きたいと思っています。根尾でもそうだったんですが、畑で作業している時の方がいい話が出てきたりするので、それを再現してみたいです。
金山:最終的には縫ったものが作品になるのですか?
カルティカ:今回はそうなると思います。IAMASや萬福寺アーティスト?イン?レジデンスプログラムの時は切り絵をメディアにしましたが、人から聞いた話自体をどうメディアにしていくのかというのは目下の課題です。
金山:どういう形になっていくのか楽しみですね。
そのときにテンションが上がったことをやり続ける
金山:ところで、YCAM(山口情報芸術センター)でのコーディネーターの仕事は楽しいですか。
カルティカ:楽しいといえば嘘だし、楽しくないと言っても嘘になります。それは、今はまだ自分が楽しいと思うポイントを見つけられていない状態にあるからだと思います。悩むことも多いですが、自分にとってはとても大事な時期だと思っています。
どこで働いても、その組織のやり方がある。例えばその中に納得できないものがあった場合、それをどう変えるか、変えられないものだったとしたらどうアジャストして働くかを自分で見つけなければいけない。それは大学では教えてもらえないものなので、新入社員は悩むと思うんですけど。
金山:日本は組織に入ったときに、そこのルールに従うことを期待されるけれど、その中で自分のやりたいことを実現する方法を見つけたり、相手を説得したりすることも大事なこと。特に表現を志す人にはその力は必要だと思います。
カルティカ:萬福寺(京都)に滞在していたときに、週4日はお寺で過ごして、残りの3日は菓子製造工場でアルバイトをしていたのですが、そこでの経験も大きいかもしれません。朝7時に行って、リーダーのおばちゃんに怒られながら、ベルトコンベアを流れてくるスイーツを黙々と作っていく。次の日は4時半に起きてお寺でお経を唱える。天国と地獄のようにかけ離れているように見えて、実はどちらもビジネスだし、お寺が100%素晴らしいわけではないし、利益を追求している企業が100%悪いというわけでもない。どこにいっても変わらないんだなと思えた経験は貴重だったと思います。いつか作品にできたらいいなと思っています。
金山:それは大事な作品になりそうですね。
カルティカ:あとは、YCAMがあるからこそ、人とのつながりで、色々なイベントができるようになったという部分もある。それはすごくありがたいし、カルちゃんカレーやカルチャイなどのイベントを開くことがリフレッシュになっています。
金山:自分のケアの仕方を知っていることも大事ですね。イベントも何ヶ月も前から用意周到にやるというよりゲリラ的にやっているのも面白い。
カルティカ:その時のノリでゲリラ的にというのが、まさに私。その時々でテンションの上がったことをやり続けて、そこで出会った人が面白ければ続くという感じの人生なのかなと思います。
取材: 山口情報芸術センター[YCAM]
編集: 山田智子 / 写真: 高森順子